The Words Shaking with Deep Emotion(感動に打ち震える言葉)
私は学生時代には仏教が専攻ではありませんでしたが、大学の二年のとき長尾雅人先生の仏教学概論を受講しました。その長尾先生が第一時間目におっしゃったことを今でも鮮明に覚えています。
「君たちは今日から仏教を勉強するのだが、<仏教>という言葉の意味は三つある」とお話しになりました。第一は「仏が説いた教え」つまり、悟りを開いたお釈迦様がお説き下さった教えのことで、これが仏教の第一の意味です。第二番目は「仏について説いている教え」ということです。
(中略)
ところが、長尾先生はこの二つで終わらないで、三番目にもう一つ「仏教の第三の意味は私たち自身が仏になっていく教えだ」と言われました。 「実はこの三つめが一番大事なのであって、仏さまの教えを学ぶということは、この私が仏に成らせていただく、そういう教えだということを絶えず忘れてはならない。それを忘れると君たちの仏教研究は肝心の根底がなくなってしまう」
私の言葉が少し入っていますから、正確にこのとおり言われたかどうかわかりませんが、いつだったかある論文にこのことを書いて長尾先生に送りましたら、礼状に「汗顔の至りです」と書かれてありました。とにかく鮮明に残っている言葉です。初めて仏教というものを教えていただいた先生の口から出たこの言葉は、二十歳の私を戦慄させるというか、震撼させたのです。その後浄土真宗や仏教を勉強するときには、絶えずこのことを忘れないようにしています。仏教を勉強するものは、この私が如来さまに助けていただくのだということを忘れてはだめだと思います。仏教について多くの学識を持つことが仏教研究の目的ではなく、「この私は何のために生まれ、死ねばどうなっていくのか?」という巨大な謎に対して、如来さまはすでに解決を与えてくださっているわけです。それをこの身に受けることが大切だと思います。
【「命一つ ― よく生きるヒント」 大峯あきら 小学館 】
「仏さまの教えを学ぶということは、この私が仏に成らせていただく、そういう教えだということを絶えず忘れてはならない。それを忘れると君たちの仏教研究は肝心の根底がなくなってしまう」という言葉に私も感銘を受けました。そして大峯氏が若干二十歳の若さでこの言葉に出会われ、しかも戦慄を覚えられたということ、また人を震撼させるほどのこのような言葉を話された大峯師の先生である長尾氏の存在にも心を打たれました。
私も二十歳の頃仏教に出会いましたが、とてもとてもこのような感動すべき言葉や、尊敬できる仏教の先生との出会いはありませんでした。しかし、仮にその頃この言葉に出会っていたとしても、大峯師のように震撼するほどの衝撃を受けたでしょうか。あやういものです。やはり大峯師はこの言葉をスッと受け入れ、そして打ち震えるほどの感動を覚えるという仏教的素地をすでに十分に持っておられたのだと思います。
私は今ここで、この言葉を教えて下さった大峯師に感謝し、仏教研究者でも何でもありませんが、ただ仏法を信奉する者の一人として、仏教書を読んだり、仏教を聞いたりするような時は、絶えずこの言葉を忘れないようにしようと思います。
My impressions:
“ It is to learn Buddhist teaching that you yourselves have the great honor to become a Buddha. You must never forget this at any time. If you forget this, your study of
Buddhism will lose its essential root,” said Mr. Nagao, Mr. Omine's teacher when he
was a sophomore at the university. These words deeply impressed Mr. Omine.
I was also a lot moved with them. I thank Mr. Omine for introducing these words, and
I will do remember them from now.