お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Fear of Death(死の恐れ)

 前回に引き続き、吉沢久子さん(生活評論家)は、次のように話しています。「病気になったら、弧独死したら…..。そんな不安を口にする方もいらっしゃいます。でも、私、そのへんはサバサバしているんです。生きていれば、やがて死ぬのは当たり前。たくさんの人を見送りましたが、私が見てきた死は、たいてい安らかでした。苦しいのはほんのつかの間で、「生」から「死」は一瞬にして飛び越えられるもの。私もそのときになったら、多分、ひょいと「あちらの世界」へ行ってしまうのではないかしら(笑)。ですから、死をこわいとおもうことはありません」                              

 私もこれまで、父母や夫や義妹、知人等を見送ってきましたが、吉沢さんの話のように、皆、安らかな死に顔でした。「あまりに」と言ってもオーバーでないほど穏やかな表情だったので、むしろこちらの方が慰められるような感じさえしたのです。          

 このことは、以前読んだ『死の瞬間』(毛利孝一著)の内容と重なります。また、このブログで取り上げていますが、これは、「死の瞬間」の出来事である以上、あくまで今生での出来事です。死が恐ろしいと思う本当の理由は、「あちらの世界」がどういう世界なのか、はっきりしないからといえるでしょう。次は、ブログからの引用です。「仏教の観点からしますと、仏教で問題とするのは、一息切れてしまった次の世のことです。即ち死後の世界を問題視しています。言いかえれば、問題は一息切れた時から始まるのです」       

 従って、死後の世界を知ろうとするなら、仏教をより所とする以外にありません。
(Therefore, if you want to know about the world after your death, Buddhism is
your only anchor.)


参照 ※http://d.hatena.ne.jp/miko415/20140523
                   (死の瞬間)