Battles(戦い)
今年は家庭菜園に植えた大根が、例年になく虫の被害を受けています。葉っぱが青虫に食われて、点々と穴があいたり、ほとんど食い荒らされたりしたものもあります。葉っぱがなければ大根は育たないから困ったものです。
葉っぱもある程度まで大きくなれば、少々虫に食われてもそれ以上に葉の成長力が上回るため放っておけるのですが、まだ成長力が弱い若葉の時にはそうはいきません。大きくなり始めた葉っぱを守るために虫退治をしなければなりません。40本余りの数なので、農薬を使わず割り箸でつまんで取って歩いています。でも、緑色の葉っぱに緑色のうじ虫なので、識別が難しく見逃しやすいことこの上ないのです。農薬を撒けばそんな見逃しも気にすることもなく、殺すという行為に罪悪感も感じませんが、虫を割り箸でつまんでギュッと力を入れて潰す時には、「ごめんね」と思わず心の中でつぶやいています。ちょっと嫌な気分になります。
こちらからすれば、せっかく植えた大根を食い荒らす虫は害虫に他なりません。でも虫たちからすれば、それを食わずには生きられないのに、殺してしまう私は害人に他ならないでしょう。
ところで、私の住む地方では、梨やリンゴが盛んに栽培されています。それらが成長して花を咲かせ実をつけるまでには、何度も大々的に農薬が散布されている光景を目にします。育てている人の話を聞いたことがありますが、農薬がなかったら、梨やリンゴはほとんど売り物にはならないとのことです。
私たちが作物を作る限り、虫たちとの戦いは続くでしょう。
ふと思うのですが、私たち人間にとっても、虫たちにとっても、命はそれぞれに同じように大切なものです。阿弥陀さまはどのような思いで見ておられるのでしょう。きっと両者を平等のまなざしで見つめ、あわれだなぁと思っておられるに違いありません。
( I have a notion that we humans and worms have the same important lives
respectively. What does Amida Buddha think about humans and worms? I am
sure the Buddha must evenly pity both of the two sides. )