The World of Shinjin(信心の世界)
私たちが阿弥陀様に向かって自分の心のあるがままを申し上げますと、阿弥陀様はいつでも、「心配するな」と言われます。そうすると、不思議にもそこに阿弥陀様と私の間に一つの対話の空間が開かれて、とうとう阿弥陀様の心と私どもの心とがひとつになり、どっちの心かわからないようになってしまう。これがなんまんだぶつの世界です。信心において阿弥陀様と我々との間をへだてる垣根がなくなってしまうのです。もっと言うと、私の命は私の命、阿弥陀様の命は阿弥陀様の命ということじゃなくて、私の命は阿弥陀様の命、阿弥陀様の命は私の命という命の交流が生まれる、これが信心の世界です。
(略)
浄土真宗の信心とはいったい何ですかと言ったら、それは阿弥陀様の心と私の心が溶け合うという不思議のことです。私どもは我を張ってなかなか溶けようとしないけれども、有難いことに如来様のほうに我がないから如来様の慈悲の心に私どもの心が溶かされるんです。
【 『教学は何のためか「歎異抄第十二条」』 大峯顯 百華苑 】
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「阿弥陀様の心と私たちの心をへだてる垣根がなくなる」、それはなぜかと言いますと、「阿弥陀さまの慈悲の心に私たちの心が溶かされるから」であるといわれます。この不思議とも言える世界が信心の世界であり、信心を得た人は皆、この世界にいるわけですね。
大峯師はよく私たちは大きな一つの命の中に生きているという表現をされていますが、全くその通りであると思われます。
( Mr. Omine often says that we live in the same large single life. I realize what
he says is quite reasonable. )