お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Light(光明)

 光明は十方の衆生をすべて平等に照らしています。阿弥陀様の光明に照らされていない存在はこの宇宙の中にはひとりもいません。阿弥陀様の光明というと、阿弥陀様と光明とを別々に分けて考えてしまいがちですが、光明のことを阿弥陀様というのです。阿弥陀様がおって、それが照らしたり照らされなかったりするんじゃなくて、一切の衆生をいつも照らしづめの光のことを阿弥陀という。阿弥陀如来という。無碍光如来という。無碍光を持ったものというふうに言うと、もう正確でなくなります。そうじゃなくて、無碍光そのもののことを阿弥陀というのです。あるいは無限のいのちそのもののことを阿弥陀という。無限のいのちと無限の光以外、阿弥陀様が別においでになるのではありません。だから我々が阿弥陀様の光明に照らされているということがすなわち、阿弥陀様がいらっしゃるということですね。反対に、阿弥陀様がいらっしゃるということは、我々が現に今その光明に照らされているということです。                                
  【『念仏申さずしてをはるとも「歎異抄」第十四条』 大峯顯 百華苑】       
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 正信偈には阿弥陀仏の光明について次のように書かれています。           
 「あまねく無量・無辺光、無礙・無対・光炎王、清浄・歓喜智慧光、不断・難思・無称光、超日月光を放ちて塵刹を照らす」                        
( Pure light, joyful light, the light of wisdom,
Light constant, inconceivable, light beyond speaking,
Light surpassing sun and moon is sent forth, illumining countless worlds.)


 これは「阿弥陀仏の光明(仏の智慧の徳を示す)の徳を十二種に分けて称賛したもの」(『浄土真宗聖典』)です。                                
 阿弥陀仏の十二光とも言われますが、これだけでも阿弥陀様は「無碍光そのもの」であり、「無限のいのちそのもの」であることが分かります。「阿弥陀様がいらっしゃるということは、我々が現に今その光明に照らされているということです」。大峯師の説明から、阿弥陀様の光明が私たちの身の回りにあふれ、とても身近なものに感じます。