Shinjin (信心)
我々は阿弥陀様の光明に照らされるから、一念発起して金剛の信心というものを阿弥陀様からたまわる。つまり我々が阿弥陀様の光に照らされたら、我々の心に自然に信心が生まれるのです。信心とは私が信じていると思っていることではなく、光に照らされてあることが自分にわかっているということです。
(略)
それでは、光に照らされたらどうなるかというと、阿弥陀様におまかせするという心が我々に自然に湧いてくるのです。それを一念発起という。あるいは信心をたまわるといってもいい。だから信心とは、仏の光に照らされた私たちの心のことです。特別に自分の方でその心を作り出さなくたって、光に照らされたらおのずからその心が湧いてくるのです。これが浄土真宗のいちばん大事なところです。
それを親鸞聖人は『高僧和讃』では、「信は願より生ずれば」というふうに表現されています。願というのは阿弥陀様の本願です。信心は私の心から自発的には生まれない。如来様の願の力から自然に生まれてくると言うのです。
【『念仏申さずしてをはるとも「歎異抄」第十四条』 大峯顯 百華苑】
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信心は決して自分の心から自発的に生まれるものではなく、阿弥陀様の光、つまり光明に照らされたら自然に生まれてくるものであることが強調されています。
私たちは阿弥陀様の光明に照らされています。
大事なことは、それに気づく(気づかされる)ことだと言われます。
( It can be said that the most important thing is that we are aware of the fact.)
別の言い方をすれば、阿弥陀様におまかせすることですね。