Life(いのち)
今、いのちがあなたを生きている
真宗大谷派東本願寺
2011年に催された親鸞聖人の七百五十回御遠忌のテーマ。私が自らのいのちを生きるのではなく、いのちが私を生きていると考えるよう呼びかけた。これにふれて思い出したのが、臨床心理学を専攻する友人の、「身体こそ魂なのであって、魂という容(い)れ物の中を<私>が出入りする」という謎めいた言葉。共通するのは、身体を「私の所有物」とする考えを斥(しりぞ)けていること。(朝日新聞コラム「折々のことば」鷲田清一 より)
「いのちが私を生きている」の「いのち」とは、「阿弥陀仏のいのち」だと考えられます。
でも、仏願を受け入れるまでは、なかなかそのように考えることはできませんでした。ところが、仏願を疑いなく受け入れて(聞いて)、ふと気がつけば、胸の中は南無阿弥陀仏でいっぱいになっているのです。よくよく考えてみればとても不思議なことです。私の胸の中に宿っているといった感じです。今は、私の身体は「私の所有物」ではないと考えることができます。阿弥陀仏から頂いた命、生かされている命だと知らされたからです。
間違いなく、今、いのちがわたしを生きているのです。
( Without doubt, the life is now living my life. )