お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

First(ファースト)

 昨年の9月、東京都に「都民ファーストの会」という地域政党が設立されました。ここに使われている「ファースト」という言葉は、「〜が最初にある」「〜をまず第一に考える」「〜を最優先する」という意味合いで使われ、現在人気のある言葉になっています。そして「国民ファースト」「アスリートファースト」「アメリカファースト」「お客様ファースト」などの造語も生まれています。                             


 ところで、この造語を仏教的観点から見たらどうでしょうか。何事も自分中心にしか考えられない人間に当てはめるなら、さぞかし「自分ファースト」でしょうね。他の生き物に当てはめても然り。もし犬だったら「犬ファースト」、猫だったら「猫ファースト」など、いずれの生き物も、当然それぞれが「自分ファースト」だと思っているでしょう。     


 でもここで、阿弥陀仏が登場されたらどうでしょう。事態は一変し、「阿弥陀仏ファースト」に転じるでしょう。阿弥陀仏は私たちがこの地球上に登場する、そのずっと前から、衆生を必ず助けるという本願を建てられ、その本願が既に成就されているからです。即ち私たち衆生の一歩前には必ず阿弥陀仏がおられることが明らかだからです。         


 私がこのことを強く意識する箇所が、蓮如上人の「御文章(五帖)」の中にあります。「何のようもなく、一筋にこの阿弥陀ほとけの御袖(おんそで)に、ひしとすがりまいらする思いをなして『後生を助けたまへ』とたのみもうせば……. 」の件です。         


 教えを聞き始めてより長年にわたって、ただただ一心にこちらから、「どうぞ助けてください」と、私の「助けて下さい」が最初にあるもの、と思っていました。        


 ところが実際は、悠久の過去から阿弥陀仏の「必ず助ける」という言葉が、私の「助けたまへ」の言葉の前にあったのです。つまり、「必ず助ける」と約束されているのですから、「それでは助けてください」と、お任せすることだったのです。            


 「阿弥陀仏ファースト」、世に広く流布してほしい言葉です。            
( The phrase “Amida Buddha First” is what I want to be widely spread all over
the world. )