お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Life without Any Regrets(悔いなき人生)(1)

 愛憎にまみれたみにくい一生であっても、私にとっては、ただ一度っきりのかけがえのない人生です。空しく死んでゆくわけにはまいりません。それがいま、真実のことばにあい、人生が聞法の道場であったと領解するとき、聞くべき真実を聞き、あうべきものにあいえたわが人生に悔いはないといい切らせていただけるし、人生に豊かなみのりを感ずることもできます。空しい死の影の彼方に、愛憎の妄念の消滅する清らかな涅槃の浄土を期する身にならしめられるならば、死は永遠の生命を感得する縁となってゆきます。        
 まことに「本願を信じ念仏をまうさば仏になる」(第十二条)と教えられた「往生極楽の道」こそ、生と死に豊かなみのりをあらしめ、限りない「いのち」の世界を開いてゆく「生死いづべき道」」でした。だからこそ、それは「いのち」をかけて悔いない道だったのです。
    【 「聖典セミナー『歎異抄』」 梯 實圓  】


 私たちが生きてゆく上で、どんなに楽しいこと、どんなにすばらしいことを経験しても、過ぎてしまえば心からの満足はなく、寂しさ、虚しさが残るものです。その原因は究極的には、心の根底に死の影が潜んでいるからでしょう。
 梯師が言われるように、本願を聞けば、死は永遠の生命を感得する縁となってゆき、生と同じく豊かなものになります。それ故師は、本願を聞き、「往生極楽の道」を歩むことが、命をかけて悔いなき人生であると言われるのです。


 一度っきりの人生、本願に出会えて良かったと思わずにいられません。  
My impressions:
However pleasant things, or however great things we may experience, we won't be
completely satisfied with them and some loneliness and emptiness will remain in our
mind after time has passed. It is because the shadow of death lurks at the bottom of
our mind. But if we hear the Primal Vow of Amida Buddha, death becomes a
relationship by which we realize eternal life. And so hearing the Primal Vow proves life without any regrets.