お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Word of the Name(名号という言葉)

 名号は日本語とか、インド語とか、サンスクリット語とか、中国語とか、そんな現象の次元の言葉ではありません。つまり、歴史的に社会の中で発生した人間の言葉ではないのです。お釈迦様は人間としてインドの言葉で説法されたわけですが、そのお釈迦様の言葉はいったい何を語っているかと言うと、いかなる人間の言葉でもない仏の言葉、根源的な言葉を語っているのです。一切衆生を救うという仏の呼び声、南無阿弥陀仏の名号を語っているわけです。  
【「『浄土の哲学』高僧和讃を読む 上」 大峯顯 】

   
 大峯師は名号について、次のようにも表現されています。
*「分節された人間の言葉ではなく、言葉の言葉、純粋で根源的な言葉です」 
*「時空を超えた仏が自分を表現している言葉である」  
 名号は人間の言葉ではなく、仏の言葉であること。即ち両者は互いにはっきりと峻別されるべき言葉であると知らされます。 
My comments:
The Name of Namu-amida- butsu is the word of Amida Buddha. That is to say you
should draw a clear distinction between the word of the Name and the words made
by man.