お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Blessing of the Soil(土のありがたみ)

 七月半ばにジャガ芋を取り入れました。おそらく近所では一番遅かったでしょう。  
 それには少し訳があったのです。青々と葉の茂る太い茎が、普通の倍ぐらいの背丈に伸びました。本来なら、三畝が適度の広さの場所に五畝を作ったため、全体の葉の茂り具合はそれは見事なものでした。私は「葉ばかりさん」になるのでは… と不安だったのです。実際、近所の人の話では、葉が茂り過ぎた時に養分が葉や茎にばかり取られてしまったのか、小さな芋しかとれなかったという恐ろしい話を聞いていたのでした。それに花が咲き終わるまでは真っ直ぐだった茎が強風に吹かれて倒れてしまい、その後は寝ころんだまま育つ羽目になったのです。果たして養分がうまく芋の部分に行くだろうかと更に心配が加わったのでした。何とか葉や茎の養分が芋に届きますように、と 茎が枯れるまで待ったジャガ芋。いざ掘る段になって、ちょっとドキドキしました。意を決して一株グッと枯れた茎を引いてみました。なんと、大きな芋がついているではありませんか。続く芋も大きくて「ジャガ芋君、育ってくれてありがとう」と声を掛けたくなるほど心が弾みました。          
 初めて植えた時の玉ねぎはピンポン玉大が多く、ラッキョウ大もありました。痩せ地だからダメねと見くびっていたのですが、今回の芋の上々の出来ばえを見て、肥料を多めにやったり、施肥の仕方を工夫すれば解決できることを学びました。             
 痩せ地でも結構。もし土そのものが無かったら始まりません。土あればこそ、と見直した次第です。ジャガ芋が気づかせてくれた土のありがたみです。             
I was pleased all the more because I was worried by some troubling problems by the
time of the potato harvest. It was also a harvest that I could realize the power of the
soil. I feel everything is done under the providence of Amida Buddha.
 (ジャガ芋の収穫まで、今回は何かと悩ましい事があったのですが、それだけに喜びもひとしおでした。また、土の持つ力に気づかされたことも大きな収穫だったと思っています。
すべてのことが大いなる力の中で営まれていることを感じます)