お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Words of the A-bomb Victim(被爆者の言葉)

I had the bomb blast on my whole body and had innumerable wounds.
Though the wounds were closed, it took seven years. I needed long time of 30
years for the recovery of the physical strength fully, and while those years I did not
understand what being healthy was.
Since the days of a child, I have been worried about when I might suffer from
schizophrenia, leukemia, or cancer someday.
More than 60 years have passed since the World War Ⅱ, but even now scenes from
hell come back in my head several times a day. A voice of “help me” points out a
tongue unintentionally and appears.

 私は全身に爆風を受け、無数の傷ができました。その傷口が閉じるのに7年かかりました。体力の回復には実に30年の歳月を要し、健康とはどういうことなのか分かりませんでした。                          
 私は、子どもの頃から統合失調症に罹るのではないか、白血病になるのではないか、癌になるのではないか、と心配してきました。            
 戦後60余年が経ちましたが、今でも日に数回は生々しい地獄絵図が私の頭をよぎります。思わず「助けてくれ〜」の声が口を衝いて出ます。        
【『平和への道』 著・日英対訳:飯田國彦 非売品 より抜粋】

 

 先日、被爆体験を聞く会に参加しました。69年前の8月6日は広島に原爆が投下された日です。その会場で話された飯田國彦氏は、3歳の時、爆心地から900メートルの所で被爆しました。その距離での死亡率は80%〜100%と言われます。氏の父は沖縄戦で戦死し、母と姉は被爆1か月後、祖父母も被爆数年後に亡くなると孤児となりました。その後親戚宅を転々としながら生き伸びた奇跡の人だと言われています。現在は被爆体験者として、体験談を全国各地で語り伝えておられます。                        
 原爆が投下された1945年の8月6日〜12月31日までに14万人に上る人が被爆が原因で亡くなったと言われます。今も後遺症で苦しむ人が後を絶ちません。


 仏教では「人身受け難し」と言われますように、生まれ難い人間界に生を受けながら、聞くに堪えない不運に遭わざるを得なかった人たちの胸中は如何なものでしょうか。仏教信者の一人として、とても言い表せない無念の思いを禁じ得ません。核兵器の廃絶を決して忘れてはならないと思います。