お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

To Notice(気づき)

 人間、人一人に六十兆を超す膨大な数の細胞が働いてくれているそうです。これらの一つひとつを目にすることはできませんが、私たちが気のつかないところで、それぞれ役目を果たしてくれています。しかも何のお返し、お礼も求めずに、ただ黙々とです。体中に張り巡っている血管、そして臓器、一度も表に出ることもなく、それぞれが役割をまもって働いてくれています。自分の身体に、今やっと心からお礼を申しています。          
 それと同じように、私たしたちは表面に出ている身体のことをいのちと言っています。しかし、いのちを生かし続けているはたらきは、仏さまではないでしょうか。
  (中略)                              
 動物も、植物も一つのいのちを生かし続けていくために、あらゆるものが支え合い、助け合っていることがわかります。このように考えてみますと、身の回りには、無言で私たちに訴えているものがあります。それに気づくか、見逃すかで違ってきます。        
 妙好人因幡の源左さんが、刈り取った草を牛の背中に乗せて家路につく道中で、気づきました。そうだ、この私の罪も障りもすべて引き受けておられる仏さまがおられることに、牛によって教えられたのです。そこに「牛ぼとけ源左」と言われるゆえんがありました。源左さんが「ふいっと、わからせてもらったいのう」と述懐しています。(藤実無極 滋賀県・報恩寺住職)         
   【 『やわらか法話(1)』  本願寺出版社 】          
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 筆者、藤実師は今70代の方ですが、師の「自分の身に、今やっと心からお礼を申しています」の言葉に、‘気づき’の深さを感じます。普通、人は死ぬまでに一回でも自分の身体にお礼を申すなんてことがあるだろうかと思うからです。「命」は大切にしなければならないとは、誰もが思うことですが、その命を支えてくれているのは自分の身体でありながら、その身体にお礼をするところまでは、なかなか思いが至らないのではないでしょうか。                                        
 でも、藤実師の言われるように、自分の身体の働きに気づけば、これまでより何倍も身体を大切にしようという気持ちが生まれ、延いては命を大切にしなければという気持ちにつながります。だから自分の身体の働きに対する気づきもとても大切であると知らされます。 
 また藤実師は、「身の回りには無言で私たちに訴えているものもあります。それに気づくか、見逃すかで違ってきます」とも仰っています。                  
 妙好人の源左さんは阿弥陀さまのお働きに気づいた人ですから、最も大切な‘気づき’をした人だといえます。反対に、もしお働きを見逃していたら・・・せっかく生まれ難い人間に生まれながら、この上ない残念な結果に終わっていたと言わざるをえません。     
(Genza, a wondrously excellent person, noticed the work of Amida Buddha, so he
could be said to be a person noticing the most important matter. On the contrary, if
he had missed it, he would have ended in the most regrettable result though he was
fortunately born human.)