Invisible Power(目に見えぬ力)
次の文は、某紙読者欄に掲載された、ある男性(96歳)の投稿文です。
「………………. (余命)2,3年だと言われた私だが、肺と心臓に病を抱えながらも96歳の誕生日を迎えた。…………….. 生きている者は必ず死ぬ。これを決定するのは、目に見えぬ無限大の力の働きだと私は想像する。生と死は人間の力でどうすることも出来ない。…………………… 死に行き着くまでどのように生きればよいのか。人によって様々であろう。……………………………………………
朝、目覚めて『ああ、今日もこの世の空気を吸わせていただけるか、ありがたい。残り少ない時間を無駄なく過ごさせていただけますように』と目に見えぬ力に合唱するばかりである」。
私はこれまで、この文のように、”何か目に見えぬ力”に生かされていると感じる人たちの声や話や文章を、たびたび見たり聞いたりしてきました。このように感じる人はかなり多いと思われます。
ただ大事なことは、それが何であるかを知ることだと思います。
( An important matter,I think, is that we know what the invisible power is. )
この目に見えぬ力とは、仏教信者には阿弥陀仏であることがはっきり分かっています。上記男性の方が、単なる自己の想像の域を越えて、阿弥陀仏に出遇われることを切に願いたいです。