お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

『明日をひらく「一期一話」』(2)

          生きる(2)                     
 核家族化が進み、家族の死に立ち会うことも少なくなり、自分たちの周りから死が遠ざかり、今生きていることの不思議さを忘れています。        
 今日、生きることの難しさはだれしも知ってはいますが、死ぬことの難しさが身にしみることは忘れています。死を受け入れようとしない自分たちのために、仏陀は死を乗り越えて生きる道・浄土を教えて下さいました。「死は私の一生の出来事であった」と頂戴して生きる道のあることを知ってください。(P.67)(富山市 善得寺住職 越森卜士)      
 ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽   


 生きることは、私の一生の出来事であるのは当然ですが、「死は(も)私の一生の出来事であった」と述べておられます。生死不二と言われますように、生と死は表裏一体、切り離すことはできません。ですから、正に仰る通りと言わねばなりません。
 しかし、私たちは普段は生きることに一生懸命で、死を忘れてしまっているのが実情です。


 きちんと死に向き合い、死を受け入れられるようになってこそ、真に充実した人生を送れることを阿弥陀如来は教えて下さっています。          
( It is when we face and come to accept death that we can lead a truly fulfilled life,
which Amida Buddha teaches to us. )


 世事に忙殺されがちな日常に、ちょっと立ち止まり、このことを静かに考えてみることが大切ではないでしょうか。