『明日をひらく「一期一話」』(1)
生きる(1)
当たり前と思っていたことが、本当に有り難いことと知らされます。
あなたは、生まれた時のことを覚えていますか? この問いに答えられる人は、いません。そして、生まれてから1年も2年も、お口と下の世話になり放題になっておりました。その赤ちゃんを昔から「仏さまからのさずかりもの」と言い、周りのみんなからお育てをいただきながら成長してきたのです。
若い方たちが自己主張を展開するのは当然としても、高齢の方々と話していると、「若いもんの世話にならんようにしたい」、「元気でコロッと死にたい」とおっしゃるのをよく聞きます。元来は、「さずかりもの」だったのに、いつの間にか、いのちすら「自分のもの」にしているのです。
確かに健康は大切であるけれども、いのちは黙って問いかけてくれています。いのちの源である仏さまと出遇うことが、まさに仏さまから願われていたことなのです。日々の暮らしが、仏法聴聞のご縁なのだ、と言えると思います。それぞれのあたわりを背負って、励んでいきましょう。(PP.68〜69)(白山市 聞成寺住職坂本敏朗)
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上の文の最下段「確かに 〜 願われていたことなのです」の部分は、次のように解釈できると思います。「阿弥陀さまのいのちは黙って私に問いかけていてくれます。『なぜ命は大切なのですか』。それに対する回答は『私の命の源である仏さまと出遇うための命だから大切なのです。そしてその出遇いは、阿弥陀さまがずっと願われていたことなのです』」
また、「元来は、“さずかりもの”だったのに、いつの間にか、いのちすら“自分のもの”にしている」とありますが、反省したいところです。
( My life is originally a blessing but I have regarded the very life as my possession
before I am aware of it, which I should reconsider. )
※ 『明日をひらく「一期一話」』:(北國新聞社発行)