お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

『明日をひらく「一期一話」』(4)

           生きる(4)                    
 病を得て苦しむ人、老いを悲しむ人、まさに死を迎えんとする人。こうした肉親の危機に、大切な人であるほど何とか楽にしてあげたいと思うのは人として当然の心理でしょう。  
 しかしながら仏説無量寿経巻下には、「身、自らこれを受くるに、有(たれ)も代わる者なし」とのお言葉が示されています。我が身の上に起こることは、当事者一人一人が、その身に負わなければならない厳粛なる事実なのです。それを受け留めない限り、本当の『いのち』の重みは感得されないでしょう。    
 他人事ではないのです。(P.103)(金沢市西福寺住職 三輪谷恩)     
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 人は誰もが自分の人生の主人公です。他人は誰も代わってくれませんし、自分も代わってあげることはできません。苦しい事の方が多い人生ですが、それから逃げていては苦しみは追っかけてくるばかりです。ここに書かれていますように、あるがままを受け留めることが大切でしょう。受け留めることで心が据わり、道は開けてくるものです。        

 ところで、自分の命は阿弥陀さまの命の一部です。このことから、筆者の言われる本当の『いのち』の重みが感得されるでしょう。そして、人生は阿弥陀さまと共に生きる人生であると受け留めることができます。それと同時に、人生は孤独なものといわれますが、   


もはや孤独ではありません。いつも阿弥陀さまと二人連れの人生であるからです。
(Your life is not lonely any more, for you are always with Amida Buddha in pairs.)


 ここで少し補足しますと、上に「あるがままを受け留める・・・ 」と書きましたが、このようにできるのは、阿弥陀さまのお導きがあるからです。阿弥陀さまと二人連れ、とは阿弥陀さまとの間に感応道交があることであり、常に導かれている状態であるといえます。 


※感応道交(広辞苑
仏と人と、また教えるものと教えられるものとの気持が通いあうこと。衆生の機感と仏の応化とが相通じて融合すること。                 
     参照:http://d.hatena.ne.jp/miko415/20150517         
                       ( 対話 )