お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

A Wise Person and a Fool(知者と愚者)

 つい先頃、人工知能と世界トップ級プロ棋士との囲碁対局で、人工知能が4勝1敗で勝利したとのニュースがありました。人工知能が人間の知能に勝ったという結果は世界に衝撃を与える出来事でした。とかく世間では、知識、知能を持つ人は「ものを知る」人、知者とみなされます。ですから、当プロ棋士は敗北に帰したとはいえ、囲碁に精通した知者といえます。                                     


 ところで、「ものを知る」と言えば、「八万の法蔵をしる」という言葉が御文章5帖目2通に出てきます。そこには次のように書かれています。       
 「それ、八万の法蔵をしるといふも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。      
( Those who are not concerned about their afterlife are considered to be ignorant
persons, even though they may be well-versed in eighty thousand Dhama-teachings;
those who have resolved the matter of the afterlife are described as wise persons,
even if they are illiterate laymen or laywomen. So it is said. )
                   (英訳:『Letters of Rennyo』より)  
 しかれば当流のこころは、あながちにもろもろの聖教をよみ、ものをしりたりといふとも、一念の信心のいはれをしらざる人は、いたづらごとなりとしるべし。」          


 蓮如上人は、智者と愚者との区別を「後世を知るかどうか」で判定されています。八万の法蔵と言われる膨大な量の一切経を読み破った人でも、後世を知らなければ愚者とみなされますし、反対に一文不知の人でも、後世を知れば智者と誉められます。
 後世を知ること、つまり、信心を獲ること(阿弥陀仏から信心を賜ること)が肝要になります。後世を知る真の智者になって、誰に誉められるより、阿弥陀さまに誉められる身が一番いいですね。