お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

A Fresh Morning(さわやかな朝)

 今年の夏を振り返ってみますと、私の住む地方では、梅雨明けが平年より10日ほど遅れました。その上、梅雨明け宣言が出された後も、台風などの到来で曇り空の日が続き、ほとんど毎日雨が降り、蒸し暑くて、まるで再び梅雨空に戻ったような日々でした。カラッと晴れて、夏らしい太陽が照る日があっただろうか、と思い出せないくらいです。      


 ところがどうでしょう。数日前の早朝の空には、まるい月がくっきりと浮かんでいたのです。本当に久々に見る月でした。空は真っ青で、空気も優しくひんやりとして、ウォーキングには心も弾む爽やかな朝だったのです。それに、草むらの虫時雨が一層気分を高揚させてくれるようでした。                                


 どこまでもついてきてくれる月を見ながら、不思議と、すっと思い浮かんだのは法然上人の詠まれたという歌です。                             
 月かげのいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ             
( There is no place where the moonlight never reaches. However, it shines only
in the heart of a person who looks up at the moon. )


 この歌の意味を梯實円師が『聖典セミナー歎異抄』( p.35 ll. 7~13 )に書かれています。 
「さわやかな秋の月は、その光をすべての人のうえにわけへだてなくそそいでいますが、光を背にしてわが影だけを見つめるものは光の中にありながら光にあうことができません。ただわが身の黒い影におびえるばかりです。影は引きずりながらも闇を背にして月を仰ぐ人だけがさわやかな月の光を全身にあびて、心の底まで、澄みわたっていきます。まさにそのように、大悲の光明は、万人を平等に照らしたまうが、その教説を疑いなく聞きうけて、われもまた光明のなかにあり、とみ教えをあおいで念仏するもののみがさわやかな光のうちに人生を全うすることができるといわれるのです」


 今もなお、あの爽やかな朝に見たきれいな月が思い浮かび、梯師の書かれていることをそのまま受け入れることができる幸せを感じます。