お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Does the Spirit Exist?(霊は存在するのか)

 私は、昭和五十五年(一九八〇年)から平成三年(一九九一年)にいたる十一年余の間に、実に二千四十六名にわたる葬儀を執り行わせていただきました。            
 その多くは葬儀社からの依頼によるものでしたが、ほとんど毎日が、通夜に葬儀という日々でした。                                   
 このことを通して、私は実に特異な体験をすることができました。    

      

 それは、亡くなった方、すなわち「死者の霊」についての体験です。   

      

 死後、人は無に帰すのでしょうか。あるいは、霊魂として存在し続けるのでしょうか。そもそも霊魂があるのかということは、「信じる」か「信じない」かの問題だと一般的に思われています。けれども私にとって、霊魂は、「たしかに実在するもの」なのです。これは、宗教的な確信や信仰の問題ではなくて、私にはたしかに「在る」あるいは「いる」という実感としてわかるからです。                             
 一般的に言われている「霊」はたしかに実在するのです。私は、これを「本人」とよんでおります。(仏教的には「仏性」と言うのでしょうが……)。その「本人」をわかる方もいますし、わからない方もいます。                           
 そして私には「わかる」し、「実感できる」のです。二千件を超す葬儀の体験によって、私は霊の実在を確信するようになったのです。                    
 私にとっては、霊が「在る」のは、もう前提であり、「わかるか、わからないか」「実感できるか、実感できないか」なのです。                        
【『死んだらおしまい、ではなかった』浄土宗大念寺住職:大島蘒明 PHP研究所】    
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 私がこの話題を取りあげましたのは、ずっと以前に、ある人が言った「人間は死んだら消滅してしまうものだ」という言葉が強く残っていたからです。              
 因みに、死後の世界観に関して、ある機関の調査によりますと、消滅してしまうと思っている人の割合が、20%弱あるといいます。一方、別の機関の調査では、輪廻転生を肯定する人が40%強あるとのことです(浄土真宗では、輪廻転生すると教えられています)。    

 ところで、上記著書の著者である大島師は、浄土宗大念寺の住職です。大島師は「まえがき」の中で、「私の実感した故人の魂を客観的なデータとして、残しておきたいと思いました。私の主観的な思いこみではなくて、客観的なデータとして信憑性をもたせるには、二千件のデータが必要だとのこと」と言われ、このことを念頭に置いて葬儀に取り組んでこられたことが書かれています。                             


 大島師からすれば「霊が‘在る’のは、もう前提である」のです。このことは、仏教を聞く上では極めて大事で、「後生の一大事を心にかけて」と、蓮如上人が『御文章』の中で繰り返し言っておられるように、死後(の世界)が無ければ、仏教は成り立ちません。   

 特に、死んだら消滅してしまうと思っている人には、「死んだら、おしまいではなかった」と知って、浄土真宗の教えを聞いてほしいものと思います。               
( I especially want those who think they disappear when they die to know that
they do not finish their lives even if they die and hear Shin Buddhism. )