Diamond-like Mind(金剛心)
親鸞の言葉 72:自分は自分
この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏説きおかせたまひたることなれば、われはすでに信じたてまつる。(念仏の教えを信じる人もいれば、謗る人もいるだろうと仏はすでに説いている。それゆえ私はすでにこの教えを信じさせていただいている)(『歎異抄』第十二条)
親鸞の生きていた頃、「私の信じている教えのほうが優れている」「お前の信じているものは偽物だ」などと論争になることがあったようだ。だが仏は、そのような人もいるだろうとすでに説いている。
人の世ではつねにこのような場面が生まれる。しかし、仏法を拠りどころとしている者は、揺らぐことはない。このような揺らぎや迷いのない心を仏教では金剛心と呼ぶ。
【 『親鸞100の言葉』 釈徹宗監修 宝島社 】
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『歎異抄』第十二条の上記の後には「またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられ候」と続きます。親鸞聖人は法を謗る人を見て、仏さまは、人々の間で論争が起きることは、すでに説いておられることだったと、仏説に絶対の信頼を置かれました。
仏法を信ずる人となり、信心を頂いた人は、どのように謗られても揺らぐことのない金剛心を賜るのですから、「自分は自分」と力強く歩んでいけるのです。
この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏説きおかせたまひたることなれば、われはすでに信じたてまつる。
( By the fact that Sakyamuni taught there would be both people who entrust
themselves to this teaching and those who abuse it, I have already realized
that the Buddha’s words are indeed true. )