与えられた信心で浄土に導かれる (We Are Led to the Pure Land by Given Shinjin)
信心の定まるとき往生また定まるなり (末灯鈔)
『歎異抄』の最後の部分にこんなエピソードが記されています。親鸞は、師である法然の兄弟子の前で「自分の信心も法然さまの信心も同じである」といったのです。それに対し、兄弟子たちは反論しますが、親鸞は「信心は仏さまよりいただくものであるから、同じ1つのものである」と答え、それを聞いた法然もその言葉を支持しました。信心は知恵や学識に関係なく、誰でも等しいものなのです。
何かうまくいかないことがあったとき、「もっと頑張らなければ」などと考え、今の自分とは違う何者かになろうとしてしまうことはありませんか。努力するのはよいことですが、まずは今のありのままの自分をしっかり見つめることが大切です。阿弥陀さまは誰にも等しく信心を与え、浄土に導いてくださるのです。
【 『 繰り返し読みたい 親鸞 』 監修;釈 徹宗 リベラル社 】
「信心は仏さまよりいただくものであるから、同じ1つのものである」といわれます。阿弥陀さまは、一人一人のありのままの自分を等しく救ってくださるのです。誰でも同じ信心をいただけるのは、いいものです。仏さまは人々を皆、平等に見ておられるからですね。