The Seeds of the Hell(地獄の種)
俳人小林一茶の歌に、「露ちるや地獄の種を今日もまく」という一首があります。昨今、「地獄の種を今日もまく」という言葉に、とても共感を覚えます。朝、目覚めたときから夜の就寝まで、考えてみますと悪い種しかまいていないなぁ、とつくづく思うのです。毎日毎日絶対に欠かすことのできない食事一つを取り上げてみましても、肉や魚といった食べ物に舌鼓を打ちながら、どれほどの生き物の命を奪っていることでしょう。
また、生きて行く上では、わが身が一番可愛く、煩悩でいっぱいの心は、自己中心にしか物事を考えることしかできず、そのために、どれほどの悪を作っていることかと思われます。そういう地獄の種しかまけない者を待ち受けているもの、それは必ず地獄行きという結果です。
これが事実であるとき、もし、南無阿弥陀仏がなかったら、もはや絶望的です。南無阿弥陀仏があって本当に良かったと思わずにはいられません。
禅僧良寛和尚は、辞世の歌の一首に、「不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思い出にせむ」と遺しました。とても感動しています。( Ryokan, a Zen
Buddhist monk, left his dying tanka poems one of which is the following: “Without the
inconceivable Amida Buddha’s Vow, what should we make a memory in this world?"
I am greatly moved. )