お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Amida Buddha Forestalls Us(先手の阿弥陀仏)

 『大無量寿経』には、阿弥陀仏法蔵菩薩であった時の、十方衆生を仏にできなかったら私は仏にならないという誓願が、十劫の昔に既に成就して、現在、阿弥陀仏となって活躍されていることが説かれています。私たちは今、その阿弥陀仏の活躍されているこの世に、ずっと後になって生まれてきたわけです。このことから、私たちの前にはまず阿弥陀仏がおられ、私たちを必ず助けるという教えが整えられてしまっていたことがわかります。先手の阿弥陀仏といわれる所以です。                            
 ですから、私と阿弥陀仏との関係においては、私が「気づく」「信じる」「知る」「感じる」「念仏を唱える」等の言葉は、その前に阿弥陀仏によって「気づかされる」「信じさせられる」「知らされる」「感じさせられる」「念仏を唱えさせられる」というお働きがある結果として出てくるものです。従って、阿弥陀仏の働きがまず私の前にあるということ、つまり「私が・・・をする」といっても、そこには自力は一切ありません。                                      
 阿弥陀仏はいつでも、どこでも、常に私の一歩先におられて私を導いて下さいます。だから、何の心配もなく、安心して歩んでゆくことができるんだなと、この頃よく考えています。            
(Amida Buddha is always one step ahead of me, leading me. Therefore, I can
make my way in safety, without anxiety. The foregoing is what I often think
these days.)