お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Nose Faces Downward(鼻が下を向いている)

 ある時、(源左が)田んぼへ「田の草取り」に行っていたら、突然、夕立がやってきて、雨具の用意をしてなかったから、とぼとぼと帰ってきた。その帰る途中で願正寺のご住職と出会ったのです。ご住職が、            
 「爺さん、よう濡れたのう」                      
と言うと、源左は、                           
 「有難うござんす、御院家さん。鼻が下を向いとるで有難いぞなあ」    
と言って、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と称えながら雨の中を帰ってゆきました。住職は返す言葉がなかったことでしょう。                        
 にわか雨に遭って、頭からずぶぬれになって、「たいへんじゃなあ」と言われたら、「えらい目に遭いました」と言うのが普通でしょう。けれども源左はその時、気がついていたのでしょう。鼻が下向きについていてくれることがどんなに有難いことかということを。これがもし鼻の穴が上向きについていたら、全部、雨が鼻のなかに入ってしまって、息ができなくなるところだった。鼻が下向きについていてくださったお蔭で、こうして歩いて帰れる。有難いことだ。「ようこそようこそ」と。おそらく彼は、そこに仏さまのお手回しというものを感じたのでしょう。ここにも、ちゃんと先手をかけた如来さまのお慈悲がはたらいていてくださる。鼻が下向きについているのも、如来さまのお手回しなのだと味わえてきたのでしょうね。(説法:梯實圓)
   【 『妙好人に学ぶ』 梯 實圓  松田正典  】         
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 源左さんは、「鼻は下を向いている」という当たり前のことを、当たり前と思わない、いや「思えない」人だったのでしょう。              
 梯師はこのようにも仰っています。「おそらく自分の全身に、仏さまのお手回しがはたらいていてくださる、ということを味おうた時に、この一日一日が、如来のいのちを生きている、そしてこのいのちが終わった時には、確実に、如来さまの親もとへ帰らせていただく、そういう身にしていただいているということが、彼には何よりうれしかったのでしょう」。 

 今日一日、如来さまの命を生き、命が終わったら如来さまのもとへ帰る。何より幸せな生き方をした人が源左という人でした。


 妙好人源左さんの言動には、学ぶべきことがたくさんあります。
(The words and deeds of a wondrously excellent person Genza indicate a lot of things
we should learn.)