お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Worshipping His Own Hands(自分の手を拝む)

 源左さんの甥の孫に当たる方に、足利敏夫という方がいらっしゃいました。 
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 子供の頃、源左さんと一緒に田んぼに行ったというのです。まだ小学生の頃です。家は別ですけども、同じ村内ですから、田んぼへ行って一緒に仕事を手伝うことがあったわけです。夕方になって源左さんは田んぼから上がると、そばの溝で手を洗い、その洗った手を自分の顔の前に持ってきて、「なんまんだぶ、なんまんだぶ、ようこそようこそ」と拝んでいるのです。この「ようこそ」というのが源左さんの専売特許みたいなもので、何かにつけて「ようこそようこそ」と言っていたのですが、「ようこそようこそ」と言って自分の手を拝んでいる。それが子供心に不思議だった。手を洗って、その手を合わせて仏さまを拝むのだったらわかる。そうではなく、自分の手を拝むものだから、ある時、尋ねた。  
 「おじいちゃん、いつも、自分の手を『ようこそようこそ』と拝んでいるけれど、なんで自分の手を拝むんや」                     
と言ったら、                              
 「親からもろうた手は有難いものでのう、こうして八十過ぎても、元気で使える。有難いのう。ようこそようこそ」                    
と言っていたのを覚えているということでした。(説法:梯 實圓)     
   【 『妙好人に学ぶ』 梯 實圓  松田正典 】          
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 私たちは、自分の手や足は、怪我や病気をして痛めたりしないかぎり、動いて当然と思っています。だから、動くからといって有難いとも何とも思わないのが普通ではないでしょうか。                        
 ところが、源左という人は、そうではなかったというのです。自分の手が動くことに「ようこそようこそ」と手を拝みながら、阿弥陀さまにお礼を申し上げていたのです。     
 梯師は、「『手が動くことが有難いことだ』と言える境地、これが源左さんの生涯を貫いているのです」と説法の中で仰っています。           
( “The mental state in which Gensa can say he is grateful that his hands move, does
penetrate throughout his life,” says Kakehashi.)


 阿弥陀さまに、身も心も任せきっているからこそ味わえる境地だと思われます。