決して逃れられない煩悩を抱えながら生きる (We Live Having Worldly Desires Which We Never Escape from Them)
煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらずといえども、大悲、ものうきことなくして常にわれを照らしたまうといえり(正信偈)
もっと欲しいと常に求め続け、満足することのない「欲」、心にめらめらと湧き上がってくる「怒り」、他人への妬みやそねみを表す「愚痴」。これらは三毒といわれる代表的な煩悩です。
9歳で仏門に入った親鸞は比叡山にておよそ20年も厳しい修行を続けましたが、煩悩が消えることはなく、下山後も生涯にわたって自身の心と向き合い、苦しみ続けたのです。
私たちは皆、「煩悩具足の凡夫であり、なくそうと思っても煩悩から離れることなどできません。しかし、煩悩によって視界を遮(さえぎ)られた私たちのことを、阿弥陀さまは智慧の光で絶え間なく照らし続けてくださるのです。
【 『 くり返し読みたい 親鸞 』 監修;釈 徹宗 リベラル社 】
私たちを苦しめ、悩ますのは煩悩です。「煩悩具足」と言われるように、生まれながらに備わっているものですから、なくそうと思っても、なくすことはできません。
しかし、書かれていますように、「阿弥陀さまは智慧の光で絶え間なく照らし続けてくださっている」のですから、ありがたいことです。欲や、怒り、愚痴といわれる三毒の煩悩も阿弥陀さまの智慧の光で和らぐことでしょう。
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、ものうきことなくして常にわれを照らしたまうといえり (Worldly desires obstruct my eyes and I cannot see the light;
Nevertheless, great compassion is untiring and illumines me always.)