「どう死ぬか」にこだわる必要はない ( There Is No Need to Be Particular about How to Die )
まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず(末灯鈔)
誰でも「できるだけ苦しまずに死にたい」「穏やかな死を迎えたい」などと一度は考えたことがあるのではないでしょうか。私たちはとかく先のことに心が奪われがちです。起こるかどうかわからないことを考えて不安になったり、恐れを感じたりすることもあるでしょう。
親鸞は、88歳のときに書いた手紙の中で、「臨終の際のよし悪しについては申し上げない」と綴っています。なぜなら、信心が定まっている人は正定聚につき、往生できることがすでに定まっているからです。自分ではどうすることもできない臨終について恐れを抱くのではなく、阿弥陀さまに身をゆだね、与えられた命をまっとうすること。それにより、感謝しながら今を生きられるのではないでしょうか。
【 『 くり返し読みたい 親鸞 』 監修;釈 徹宗 リベラル社 】
「『正定聚』とは必ず仏果を得ることが定まっているもの。浄土真宗では阿弥陀仏を信じて疑いなければ現世に正定聚に入るとする」(広辞苑)より
現世において信心が定まっている人は、正定聚に入っているのですから、臨終に恐れを抱くことはありありません。
「阿弥陀さまに身をゆだね、与えられた命をまっとうすること」、この言葉に心がほっこりします。