目の前の道を進むかは自分で決める (You Must Determine by Yourself Whether You Take Up Your Own Way or Not)
詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと云々 (歎異抄)
この言葉は、遠く離れた土地から命がけで親鸞を訪ねてきた人たちに対して、親鸞が述べた言葉の一節です。念仏以外の浄土へ往生する道を親鸞が知っているのではないかと疑う人たちに対し、親鸞は「それならば他のところで尋ねたらよい」といいました。そして、最後に「念仏を信じて歩んでいくのか、それとも念仏を捨てるのか、それは御自分で決めることです」と述べたのです。
ある教えに出遭ったとき、それを信じるかは自分次第。だれかに決められるものではありません。「本当にこれでよかったのか」と不安になることもあるでしょう。しかし、地道にできることを行っていれば、いつか道はつながっていくのです。
【 『 くり返し読みたい 親鸞 』 監修;釈 徹宗 リベラル社 】
上記に書かれていますように、遠方から訪ねてきた人々は、「親鸞聖人は、念仏以外に浄土へ往生する道をしっているのでないか」と、聖人の説かれている教えを疑ったからでした。それならば、他の所で聞いたらよい、と言われるのは当然です。
また、そのように言われた親鸞聖人の気持ちには、「目の前の道を進んでいくか、否かは、自分自身で決めるものだ」というお考えがあったからでした。
教えに出遭ったとき、誰かに決められるものではなく、究極的には自分が決めることなのです。
詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々。(Such, in the end, is how this foolish person entrusts himself to the Vow. Beyond this, whether you take up and accept the nembutsu or whether you abandon it is for each of you to determine. Thus were his words.)