The Meaning of ‘Play’(「遊ぶ」の意味)
親鸞聖人は、「還相回向」について「正信偈」に、「遊煩悩林現神通 入生死園示応化(煩悩の林に遊んで神通を現じ、生死の園に入りて応化を示す)」と書かれています。この部分を蓮如上人は『正信偈大意』の中で、「これは、還相回向のこころなり。弥陀の浄土にいたりなば、娑婆にもまたたちかへり、神通自在をもってこころにまかせて、衆生を利益せしむべきものなり」と解釈されています。
ここで、かねてより私は、「遊ぶ」という仏教での意味に関心を持ってきました。世間では、「遊ぶ」というと「遊びほうける」という言葉もありますように、あまり良い意味で受け取られない語感があるからです。しかし、ここで使われている「遊ぶ」は、そんな意味でないことが、「園林遊戯地門(おんりんゆげじもん)」(還相の益のこと)の意味から明らかです。
この「園林遊戯地門」の意味を『浄土真宗聖典』(P.1471)には、「回向によってさとりの世界から迷いの世界にたちかえって、自在に衆生を教化・救済することを楽しみとすること」とあります。ここで、「遊ぶ」は「遊戯(ゆげ)」の意味で使われています。つまり、仏さま方は自在に楽しんで衆生済度に活躍されていることがわかります。
凡夫には、このような仏さまの境地を思い量ることは容易ではありませんが、「楽しんで活躍されている」というところに、明るく闊達な仏さまの境地を、より頼もしく感じられるように思います。
ところで、親鸞聖人はお釈迦さまの説かれたこと(仏語)を、そのまま教えていかれた方です。「仏語に虚妄なし」ですから、その仏語に従うなら、私たちの身の回りには数多くの還相回向の仏さま方が出現されていても何ら不思議ではありません。
還相回向
Amida’s directing of virtue for our return to this world, by which the person of
shinjin comes back into the defiled world in order to work for the enlightenment
of all beings.(阿弥陀仏が、信心の人にこの世に戻ってくる利益を施し与えること。この利益により、この世に帰った人は衆生の教化に努める)
なお、「還相回向」については、「安心問答」の参照をお勧めします。
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20140807