It Is Amida Tathagata That Chose You(選んだのは阿弥陀如来)
ある総合病院に「あなたが赤ちゃんを選んだのではありません。赤ちゃんがあなたを選んで生まれてきたのです」という壁紙が張ってありました。
昨今の幼児虐待の痛ましい事件や育児放棄が社会問題となる中で、張り出されたものなのでしょう。
(略)
では先ほどの壁紙の赤ちゃんを阿弥陀如来に置き換えたらどうなるでしょう。
「あなたが阿弥陀如来を選んだのではありません。阿弥陀如来があなたを選んで生まれてきたのです」(You did not choose Amida tathagata but Amida tathagata did
choose you and you were born in this world.) となります。
阿弥陀如来は私たちが頼む、頼まないにかかわらず、迷い続ける私たちの姿を悲しまれ、「すべての生きとし生けるものを救い、浄土に摂(おさ)めとる」という願いを建てられ私たち一人一人の前に現れてこられたのです。阿弥陀如来のお目当ては「この私」なのです。しかし私たちはそのことに気付かず、この五濁の世を私自身が作り出しているのです。
【福井市真宗大谷派 磯野恵昭(福井市の吉祥堂「テレホン法話サービス」)より】
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上記壁紙に書かれていることを、私と両親に当てはめますと、「両親が私を選んだのではありません。私が両親を選んで生まれてきたのです」となります。私が今ここに存在するという事、それはすべて私自身の行為により生み出された結果だからです。両親はといいますと、私がこの世に生まれる縁になったのです。このようなことを意識しますと、陰になり日なたになり大切に育ててくれた両親の恩が一層強く感じられます。
さて、赤ちゃんを阿弥陀如来に置き換えるというユニークな発想が奇抜でおもしろいと思いました。阿弥陀如来と私との関係はといいますと、私の一歩手前には常に阿弥陀如来がおられるという関係にあります。その理由は以前にも書きましたが、何事も「先手の阿弥陀仏」に尽きるからです。つまり、私が阿弥陀仏に先んじて物事を行うことはできません。ここから明らかなように、私が阿弥陀如来を選んだのではなく、阿弥陀如来が私を選んで下さったのです。そして、この世から私を浄土へと導いて下さるのです。