お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Existence of Amida Tathagata(阿弥陀如来の存在)

 太陽は、太陽の光がその存在を私に知らせているように、尽十方無碍光如来はそのみ名という智慧の光のことばのみが、その存在を私に知らせ、無碍の救いに気づかせてくれるのです。さらにいえば帰命尽十方無碍光如来というみ名のみが大悲智慧の光であり、如来そのものなのです。私が南無阿弥陀仏と称え、帰命尽十方無碍光如来と称えていることは「さわりなく救う」という光のみことばに包まれていることであり、如来そのものにであっていることだったのです。                              
   【 「聖典セミナー『歎異抄』」 梯 實圓  】
          
 色もなし、形もなし、匂いもなしの阿弥陀如来は、凡夫の私の目で見ることもできず、触れることもできません。でも梯氏は言われます。如来智慧の光が「阿弥陀如来」というみ名になった名号を唱えることは、如来そのものに出会っていることであると。つまり私はその出会いを、如来の存在を心で感じることであると受け取っているのですが、これは前回(6/22)書いた通りであると思い、嬉しくなりました。     
My impressions:
We sentient beings cannot see Amida tathagata, nor can we touch him who has no
color, no shape, and no smell. But saying the Name Namu-amida-butsu, into which
the light of Amida's wisdom has changed, means that we are meeting the Tathagata
himself. So I am very happy to feel the Tathagata in my heart every time I say the
Name.