ただ「いのち」として生きる ( Living Only as “Life” )
身心一如 / 道元
私たちは心だけで生きているわけでないでもないし、肉体だけで生きているわけでもありません。「こころ」と「からだ」は、一つになった「いのち」として生きています。
身体に無理をかけていると、やがて心にも不都合が現れます。心に迷いを抱え続けると、身体にも影響が現れます。心と身体は分けて考えることができないものなのです。それがこの言葉の意味であり、仏教の基本的な考え方でもあります。
人は「歳を取っても若々しくないと」と、心に負担をかけることばかりやってしまいます。身体の面でも、若者に負けない体力を目指したりして逆に身体をこわしてしまう。これでは本末転倒です。
身体も人の心も変わっていく。それをまず心において、心身ともに大切にしていく。身体を大切にすることが、心を大切にすることになり、心を大切にすることが、身体を大切にすることにもつながっていくのです。
【 『老いを生きる 仏教の言葉100』 ひろ さちや[監修] 】
「身心一如」とは、心と身体を分けることはできないということです。ちょうど「名体不二」(阿弥陀仏の名号とその仏体とが一つであること)<『浄土真宗聖典(註釈版)』p.1542> という言葉がありますが、「一如」は「不二」とも言えるでしょう。
心の負担は身体の負担になり、身体の負担は心の負担になると言われます。心も身体も同じように大切にして、両方が一つになった「いのち」として生きていくよう教示されています。
心身一如:Body and mind can not be dualized.