お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Notice Boards of Temples(お寺の掲示板)

     「おまえも死ぬぞ」響く金言、お寺の掲示板に熱視線            
 短い言葉で仏教の教えや人生訓などを伝えるお寺の掲示板が各地で注目を集めている。生や死への鋭い洞察にハッとしたり、温かなメッセージに和んだり。SNSでは、お寺の掲示板を投稿してもらう「輝け!お寺の掲示板大賞2018」も始まった。(略)       
 「お前も死ぬぞ」岐阜県郡上市の願蓮(がんれん)寺に掲げられた言葉が、ツイッターで話題を呼んでいる。 (略)  石神明住職(80)は「人生の真実のあり方を端的に教えるのが仏教。死をひとごとに思いがちだが、死は誰にも平等に訪れる。そのことに目覚めることで、命や生き方を見つめ直してもらえれば」と話す。                
(略)                                      
 「他人と過去は変えられないが自分と未来は変えられる」(東京・築地本願寺)、「私のわがまま当(あた)り前、他人のわがまま許せない」(愛知・西岸寺)など各地のお寺の掲示板がアップされている。  (朝日新聞デジタル版 より)              
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 「おまえも死ぬぞ」は衝撃的です。4万回以上ツィートされ、「いいね」も10万件を超えたそうです。                                   
 「死ぬ」という言葉は、普段は「縁起が悪いから」とか、「怖いから」、「嫌だから」と、考えないようにしているという人が多いのではないかと思います。それだけに、かえって眠っていた死への感覚が呼び覚まされたのでしょうか、反響の大きさに驚きます。     
 ところで、毎年新語大賞なるものが発表され、忖度、神ってる、爆買い等々、これまで多くの新語が生まれています。これらの新語は初めは注目を集めますが、やがて慣れっこになり、次第に新鮮味が失われていくものです。                     
 しかし、「死ぬ」という言葉はどうでしょう。他の方たちはどうかはしれませんが、私にとっては、慣れっこになることも、新鮮味が失われることもありません。新語が「新しくて古い言葉」になるとすれば、「死ぬ」は「古くて新しい言葉」であり続けます。と言いますのは、忘れられない言葉に、某会に所属していた時教えられた「今死ぬと思うにすぎし宝なし、心にしめて常にわするな( There is no other better
jewel than thinking if I may die now. Heed it in my mind and always never forget it.)」がありますが、「死を忘れるな」と念を押されるほど、死というものは忘れがちになるものだからです。逆に言えば、聞けばハッとして真新しく響くものだからです。                   
 昨今は、お寺離れが進んでいると聞きますが、SNSでの「お寺の掲示板大賞」などは、現状にマッチしたいい企画だと思いますし、見る人たちの、仏教の教えに関心を持つ糸口になってほしいと思います。