Question toward Life Itself(人生そのものの問い)
日々の暮らしのなかで、人間関係に疲れた時、自分や家族が大きな病気になった時、身近な方がなくなった時、「人生そのものの問い」が起こる。「いったい何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」。
この問いには、人間の知識は答えを示せず、積み上げてきた経験も役に立たない。
目の前に人生の深い闇が口を開け、不安のなかでたじろぐ時、阿弥陀如来の願いが聞こえてくる。
親鸞聖人は仰せになる。
「必ずあなたを救いとる」という如来の本願は、煩悩の闇に惑う人生の大いなる灯火(ともしび)となる。この灯火をたよりとする時、「何のために生きているのか、「死んだらどうなるのか」、この問いに確かな答えが与えられる。
【 『拝読 浄土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社 】
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私にとっても、「何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」が大きな問題でした。浄土真宗の教えを聞き、この二つの答えがはっきり知らされたことは、何物にも代えがたい喜びです。
もし仏法に出遇えなかったら、と思いますと、一寸先は闇で、かつ線香花火のようなはかない世にあって、どんな人生になっただろと不安でいっぱいになります。
これからも如来の本願の灯火(ともしび)に導かれながら、「南無阿弥陀仏」とともに日々を重ねていきたいと思います。( Led by the light of Amida Buddha’s Primal
Vow, I’ll continue to live my life together with “Namu-amida-butsu”. )