お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Being Wished and Allowed(願われて、許されて)

 願われていた私 赦されて生きていた私 (東井義雄)               
 (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<8月の言葉>より       


 私は誰に願われ、そして誰に赦されて生きていたのでしょう。言うまでもなく、阿弥陀さまに、です。これは、人間としてこの世に生を受け、仏法を聞けたからこそ分かることで、そうでなかったら、生前は何処にいて、死後は何処へ行くのかも分からずじまいだったことでしょう。仏法を聞けたことで、私は六道輪廻という迷いの世界を流転してきたことが分かります。                                     
 このような私を憐れみ、何とかその迷いから抜け出させるために、阿弥陀さまは必ず救うという本願を立てられました。そしてその願を成就され、私は長期にわたり、救われてほしいと願われていたのです。しかし、無明の闇で覆われた私は、なかなか阿弥陀さまの本願を受け入れることができず、疑い続けてきたのです。それでもそんな私をいとおしみ、臨機応変の巧みな手段(善巧方便)によって、長期にわたり気長に導いて下さっていたのでした。私の側からすれば、わがままをずっと赦されて生きていたとしか思えません。      


I who was wished, I who was living in allowance
( 願われていた私 赦されて生きていた私 )