お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

In a Year-end Period(年末)

● 帖外御文 第五十五通(抜粋)
 そういっている間にも、今年ももう十二月二十八日になってしまいました。また、新春にも遇えそうです。こんな儚い人間界のことですから、あると思うのも、ないと思うのも、やはりあてにはならぬことです。しかし、また年があらたまって春に遇えるのは、まことに嬉しく、めでたく思います。
 いつまでと おくる月日の たちゆけば
        いく春やへし 冬のゆうぐれ
(いつまで生きられるのであろうかと思いつつ、月日が経ってしまいましたが、いったいいくたびの春を経験したことでしょう。そんなことを思う冬の夕暮れです)
 このように文体のおかしいのも顧みず、なすこともなく物寂しいあまりに、寒い日に炉端で、老眼を拭いつつ、筆にまかせてかきました。あなかしこ、あなかしこ。
 文明九年丁酉十二月二十九日

● 帖外御文 第七十一通
 さて、春、夏の間は、人の心も何かにつけて忙しく、気持ちも落ち着かないものですが、秋、冬は夜も長く、季節も良いので、仏法についての疑問など持っている人びとに、他力のみ教えの意義を讃へ、その一端を聞かせて、質問にも答えようと考えました。
(中略)
 さて、今年ももう暮れようとしています。正月になると、祝い事や何やかやで人びとが出入りし、心に隙もできます。また人間の生活ですから、意味はよくわかりませんが、世間のことにつけ、公のことにつけ、遊び事なども催されるでしょう。
 わたくしがかねていっていたのは、実はこのことなのです。秋、冬でなくては、仏法の話に心の向くときはありませんぞ___ということを、みんなにいってきたわけです。きっと、きっと、これから迎える年々もその覚悟をしなくてはいけません。もう四、五日も経てば、人びとの心もせわしくなり、遊び浮かれる状態になってしまうでしょう。あなかしこ、あなかしこ。
 文明十五年十二月二十五日の午後四時ごろ、にわかにこれを書きました。
   【「蓮如の手紙」(お文・ご文章 現代語訳) 浅井成海 監修】


 今年もいよいよ年の瀬もおしつまり、周囲は何かとあわただしい雰囲気に包まれています。やはりこの時期、一年を無事にしめくくり、新しい年を新鮮な気持ちで迎えたいと思う人々の心の現れでしょう。御多分にもれず、私も何となく気ぜわしく感じているのですが、ふと、このような年末を、蓮如上人のようなお方はどう思って過ごされたのか、いささか興味を引かれたので、御文のどこかに書き残されている所がないか調べてみたところ、帖外御文の中に上記のようなお手紙を見つけました。
 上の記述にありますように、上人も多くの人と同様に、「また年があらたまって春に遇えるのは、まことに嬉しく、めでたく思います」と新年を迎える喜びを述べておられます。ところが、「なすこともなく物寂しいあまりに…….」という気持ちを述べられている件からは、「上人はたくましい方」という私のイメージから離れた、何か上人らしからぬ一面が感じられるだけに、かえって人間味あふれる親しみを感じます。でもやはり上人は私の想像以上の方のようです。年末(年始)だからこそ世間事に引きずられて、仏法に力が入らない人々の心を悲しんでおられます。
 このような上人の心は、「御一代記聞書」にも書かれている箇所と相通ずるのではないでしょうか。そこには、「蓮如上人が歯の痛みで苦しんでおられたとき、ときおり目を閉じ、『ああ』と声をお出しになりました。みなが心配していると、『人々に信心のないことを思うと、この身が切り裂かれるように悲しい』と仰せになったということです」と書かれています。
 歯の痛みで苦しんでおられようが、年末であろうが、人々の信心のことばかり気にかけておられる上人の思いは、常に変わらなかったのですね。上人が我が身に感じられる寂しさや喜び以上に、常に人々のために仏法に心をくだかれていたことがよく分かりました。
 これは余談ですが、「あわれあわれ、存命のうちに皆々信心決定あれかしと、朝夕思いはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし」(御文章四条目 第十五通)というお言葉は、上人のような真の善知識が言われてこそ、説得力があり、聞く人も信を獲るのではないでしょうか。

My impressions:
We are getting close to the end of the year. I also feel busy these days as others do.
In such an atmosphere, an idea occurred to me. Somehow I wanted to know how
Saint Rennyo thought and spent during the year-end period. I found that he felt a little
lonely, so I felt friendly to him all the more because I thought he was such a sturdy
and strong-willed person. But on the other hand I found him to be much more
enthusiastic about preaching Buddhist teachings to people than I had expected.