Belonging to a Different Sphere(次元の違い)
先月の新聞に掲載された、「高齢者 交流少ないと健康リスク」の記事に、目を引かれました。日本の、ある二つの大学の研究チームが、高齢者の健康な男女約1万2千人を対象に、同居者以外との交流頻度と健康リスクとの関連を、約10年間追跡調査した結果をまとめたものです。それによると、性別や年齢、世帯構成、病気の有無などの影響を取り除いて分析した結果、同居者以外との交流が、毎日頻繁に交流している人に比べて、週1回未満だと認知症の発生リスクが1.39倍、月1回未満だと死亡リスクが1.34倍高くなるというものでした。このリスクを下げるには、積極的に、いろんな人たちと付き合うことが大切だと結論づけていました。
これを読んだ時、ここに述べられている健康リスクに非常に近い状況にいる私は、ショックを受けたというより、かなり違和感を覚えました。と言うのも、いろんな人たちとの交流頻度は少なくても、毎日が充実して楽しく、満足した日々を過ごしているからです。これは偏に阿弥陀さまのおかげです。そして、前に、このブログで書いた、御一代記聞書の中の、金森の善従の「心は晴れ晴れと楽しく、退屈せずに過ごしています」という言葉を思い出しました。
違和感を覚えたのは、この問題を仏法の立場から考えるか否か、の次元の違いから生じたのだと確信し、改めて本願に出遇えた幸せをかみ締めています。
(I am convinced that the reason I felt somehow out of tune with the contents of the
article arose from belonging to different spheres of whether we think about it from
the viewpoint of Buddhism or not. Now I appreciate again happiness to have met with
the Primal Vow.)
※ http://d.hatena.ne.jp/miko415/20121219
(おひとりさま)