Absolute Freedom(絶対の自由)
A taste of freedom
A pony that ran away from a pet shop in the nation’s capital enjoyed a brief
taste of freedom ____and some grass____ before being gently coaxed back.
< The Japan Times On Sunday >
(訳) つかの間の自由
東京の首都圏のペットショップから逃げ出したポニー(小型の馬)は、無事に連れ戻されたが、その間、草を食べ、つかの間の自由を味わった。
<ジャパンタイムズ オンサンディー>
ペットショップから逃げ出したポニーは、人に危害を加えることも、車にはねられることもなく無事に連れ戻されました。このように、飼われている動物が逃げ出すという話はよく耳にします。動物たちにすれば、自由を求めてのことでしょう。 “a taste of freedom”(つかの間の自由)という表現からは、如何にポニーが自由を求めていたかが想像できます。自由を望むのは、何も人間に限ったことでなく、動物も同じだといえます。
この小馬の話から、人間の自由とはどのようなものかを、少し考えてみました。辞書によりますと、「自由」の意味は次のようです。「(freedom, liberty) 一般的には、責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないこと。自由は一定の前提条件の上で成立しているから、無条件的な絶対の自由は人間にはない」。
ここから明らかなように、人間の自由には必ず責任と一定の条件が伴い、絶対の自由はありません。このことは、私たちは必ず死んでいかなければならない無常の存在であることや、住んでいる地球だっていつかは滅んでいく存在であること、つまり相対的な存在であることからも理解できます。
では、絶対の自由はどこにあるのでしょう。仏教の観点からすれば、生死(しょうじ)を越えた仏のさとりの世界、即ち浄土にあります。この世は、その浄土に生まれて成仏するために仏教を聞く、とても大切な場所なのです。自由ということを念頭に置いたとき、改めてそう思います。