お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

浄土真宗は現世より死後のことを問題にしている?

 逆である。死後よりも、現世を重視している。現世において、まことの仏道を完成するか、それとも、仏法との出遇いなく、虚しく過ごすかを問いにしたのが親鸞だ。私たちが仏道を実践できるのは、この娑婆といわれる現世だ。生活の中で、称名念仏を中心として信心を開いていくことこそが、真宗の最大の課題となる。
 親鸞は、古来の浄土教解釈では、死後で初めて得られる利益と受けとめられてきた正定聚(しょうじょうじゅ)、不退転位に入ることを、現世今生の信心の利益として受けとめ、信心の人を、「すでに智慧をえて、仏になるべきみとなる」(『弥陀如来名号徳』)、「如来とひとしきひと」(『未燈鈔』)と明かした。
      【 『ここがわからん 浄土真宗』 大法輪閣編集部 [編]】 】


 まず、この世に人間として生を受けることが何より大事なことです。そして仏法と出遇うことが「最大の課題となります」。
 三帰依文に「人身受け難し今すでに受く 仏法聞き難し今すでに聞く」とあります。人間に生まれることも難しいですが、仏法を聞くことも同じように難しい、といわれます。
 村上和雄さん(筑波大学名誉教授 分子生物学者)によりますと、天文学的確率で一人の人間が生まれるといいます。具体的には7兆分の1の確率で一人の人間が生まれるということで、生まれてくる確率はゼロに限りなく近いということです。
 「命の大切さ、仏法の大切さが、心底より感じられます。( We feel the importance
of life and that of Buddhism from the bottom of our hearts. )」
  参照 https://miko415.hatenablog.com/archive/2018/06/21
                      (人間に生まれる確率