末通らない ( Illogical )
「末通らない」とは、『歎異抄』に出てくる浄土真宗の教えそのものを表す言葉で、「人間は、首尾一貫して筋の通ったことはできない」といった意味です。
(略)
せっかくよいことを積極的にやろうとしているのに、能力が及ばす、思うとおりにいかない。しょせん、人間には限界があるのだと痛感させられる場合に、この「末通らない」という言葉が出てくるのです。
(略)
力及ばず、償えないという痛みをともなう経験を通して、自分が末通らないものだということに気づいたとき、仏さまが私を常に見守り、無条件に大きな慈悲の心で包んでいてくださるということが、私にとって「あるか」「ないか」ではなくて、「なくてはならない」ということが感じられます。そして、私とこの世界を包み込み、支え続けてくださる仏さまの大きな慈悲の心を感じられたところから、末通らない私が歩んでいける新しい道が拓けるのです。
【 『人生は価値ある一瞬(ひととき)』 大谷光真 】
「人間には限界がある」ことを「末通らない」という言葉で表現されています。また、上記文のこの箇所に引き続き「何でも努力すれば出来るというものではなく、人間の力ではどうしようもないことがあるのだという自覚にもつながります」とも書かれています。
「末通らない人間であるからこそ、仏さまは慈悲の心で導いて下さっています。(The
Buddha is leading us with benevolence because we are really illogical human beings.)」
従って「末通らない私が歩んでいける新しい道が拓けるのです」。仏さまの末通ったお慈悲の心に、ただ感謝です。