お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Buddha of the Unlimited Light and Life(限りなき光と寿の仏)

 阿弥陀如来がさとりを開く前、法蔵菩薩であったとき、すべてのものをすくうため、限りない光と寿(いのち)をそなえた仏になろうと誓われた。そして果てしない修行の末に、その願いを成就して、如来となられた。                        
 阿弥陀とは無量をあらわす阿弥陀如来は、その限りない光をもって、あらゆる世界を照らし、私たちを摂(おさ)め取ってくださる。その限りない寿(いのち)をもって、あらゆる時代を貫き、私たちを救いとってくださる。                    
 親鸞聖人は仰せになる。                             
   十方微塵世界(じっぽうみじんせかい)の                   
   念仏の衆生をみそなわし                           
   摂取してすてざれば                             
   阿弥陀となづけたてまつる                          
 たとえ私たちがその救いに背を向けようとも、摂(おさ)め取って捨てないと、どこまでもはたらき続ける仏がおられる。その仏を阿弥陀如来と申し上げるのである。      
   【 『拝読 浄土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社 】        
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 上記に「阿弥陀とは無量をあらわす」と書かれていますが、改めて「阿弥陀」の意味を調べてみました。『広辞苑』によりますと、「梵語(古代インドの文語であるサンスクリットの称)のAmitayusが無量寿、Amitabhaが無量光と漢訳(されたもの)」とあります。   
 「阿弥陀」の名前にはきちんとした由来(語源)があったのです。無量寿、無量光から生じていたのでした。最初から「阿弥陀」という名前があるべくしてあったと思い込んでいた私ですが、その奥に、このような深い意味があったことに、なるほどと納得した次第です。「限りなき(無量の)光と寿の仏」さまだからこそ、流転をし続ける凡夫を救うことができるのです。                                    


Seeing the sentient beings of the nembutsu
Throughout the worlds, countless as particles, in the ten quarters,
The Buddha grasps and never abandons them,
And therefore is named “Amida.”
(十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取して捨てざれば 阿弥陀となづけたてまつる)