阿弥陀仏の化身となって (Being the Incarnation of Amida Buddha)
祖師上人は弥陀如来の化身にてましますということあきらかなり『親鸞伝絵』巻上(親鸞聖人は、阿弥陀仏が変身して、この世に現れた人に違いありません)
化身というのは、仏や菩薩が人々を救済するために人間の一人としてこの世に現れた姿のことですが、応身(おうじん)とか応化身(おうげしん)とよぶこともあります。
たとえ阿弥陀仏が、どれほど大きな慈悲によって誓願を建立しても、西方極楽浄土にいたままでは、人々はそのことを知る機会がまったくないことになります。わたくしたちが、そのような阿弥陀仏の本願他力を知ることができたのは、親鸞という人物のおかげであった、という受け取り方をしたときに、まさに彼こそが、間違いなく阿弥陀仏の化身であった、と認めることができるようになります。
浄土真宗においては、“還相回向”といって、阿弥陀仏にいったん救われて、西方極楽浄土に往生し、そこで仏に成ることができた者が、再びこの地上に戻ってきて、まだ迷っている人々を救済する、という教えを説いていますが、こういった考え方からしましても、親鸞が阿弥陀仏の化身であった、ということができるわけなのです。
上記に「化身」について書かれていますが、仏さまのこの世への出現のされ方に三種あるので、三身と言われます。法身(ほっしん)、報身(ほうじん)、応身(おうじん;この応身を化身と言う場合もある)の三つです。『浄土真宗聖典』より、これらの意味を引きます。
法身;仏の三身の一つ。色もなく形もない真如そのものである仏身。
報身;仏の三身の一つ。因位(いんに)の願行に報いて成就した仏身。菩薩としての誓願と修行を完成することによって成就した仏の身体。阿弥陀如来はその代表。
応身;仏の三身の一つ。衆生の根機(素質能力)に応じて、仮に穢土に出現した仏身。この世に出現した釈尊がこれにあたる。
ここから、阿弥陀如来も、お釈迦さまも、確かにこの世に来られた(来ておられる)ことがリアルに感じられます。
「このようなことから、親鸞聖人が阿弥陀如来の化身であったことは明らかです。(Thus, it is obvious that Saint Shinran was the incarnation of Amida Buddha.)」。