お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Anybody Can Relate to Each Other(誰もがつながっていける)

(略)                                     
 曇鸞大師(6世紀に活躍した中国の僧)は、慈悲について述べる中で、阿弥陀さまの慈悲を「無縁、これ大悲なり」(『往生論註』上巻、『注釈版聖典七祖篇』62頁)と示しておられます。「無縁」とは、仏教では「つながりがない」という意味ではなく、「「特定の対象(縁)を選ぶのではない」ことを意味します。つまり、阿弥陀さまから結ばれた私との「ご縁」は、どのような者に対しても向けられる大悲(私たちを慈しむ心)のはたらきそのものなのです。このことが、『仏説無量寿経』には「十方衆生を救う」と誓われています。「十方衆生」とは、あらゆる世界のいのちのあるものという意味です。                  
 阿弥陀さまの普遍の救いに出あうとき、自分中心の世界に生きてきた私が、仏さまにつながっている世界、仏さまの慈しみに包まれている世界の中にあると、気付かされていくのです。縁のよしあしを気にして思い悩む私たちに対して、阿弥陀さまの方からすでに、全ての者に対する「ご縁」が結ばれています。この仏縁を通して、私たちが、互いに阿弥陀さまの大悲に等しく包まれているもの同士であったことが知らされていくのです。       
 【『ごえん』 浄土真宗本願寺派総合研究所、重点プロジェクト推進室 】       
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 私にとって、阿弥陀さまとのご縁、私たちお互いのご縁等、深〜い繋がりがあったとは、仏教によらなければ到底分かるものではありませんでした。              


 阿弥陀さまの十方衆生を救うという誓いの根底にあるものは、私たち一人一人にかけられた深いお慈悲の心です。このことに、一人一人が思いを致すとき、お互いに誰もがつながっていけることを自覚できると思います。                      
( What exists at the bottom of the Amida Buddha’s Vow is the Buddha’s great
mercy and compassion to each of us. When each of us thinks deeply about this, I
think anybody is able to be conscious that he or she can relate to each other. )