To Live Together(共生)
我歳(われとし)きはまりて安養浄土へ還帰(げんき)すといへども和歌の浦の片雄浪(かたおなみ)のよせかけよせかけ帰らんに同じ。
一人居て喜はば二人と思ふべし、二人寄りて喜はば三人と思ふべし、その一人は親鸞なり。
これは、親鸞聖人の教えを慕う門弟の間で、親鸞聖人はこう仰ったと歌い継がれてきたものです。門弟、あるいは親鸞聖人を慕う人々の間から、自然に“親鸞聖人が寄り添っていてくださるのだ”ということを恐らく言っていたのだろうと想像します。
しかし親鸞聖人は門弟に向かってそういうことは仰らないはずです。恐らく親鸞聖人が仰るとすれば、「阿弥陀さまがあなたと共におられます。あなたと一緒におられます。そして私にも阿弥陀さまが一緒にいてくださいます。仏さまは、私が嬉しい時に一緒に喜んでくださる方です。自分が悲しい時にはそっと寄り添って一緒に悲しんでくださる方です。それが仏さまです」とお考えだろうと思います。
だからいま「共生」という明るい方向で言うとすれば、人と人とが共に生きるというだけではなく、真宗学の立場から見れば、そこに阿弥陀仏という仏さまが私と共に生きてくださっているということを考えたいと思います。
阿弥陀さまがおられて、阿弥陀さまと私が一緒にいるのです。そしてあなたが阿弥陀さまと一緒にいる。だから私とあなたが一緒にいるのだという意味で、共に生きるということであれば、それはそれでいいのだろうと思います。そこに「阿弥陀さまとともに」「仏さまとともに」というところをきちんと押さえていきたいというのが、親鸞聖人のお立場で考える「共生」になるのではないかと思います。(講話:玉木興慈 短期大学部准教授)
【『真実に生きん』 りゅうこくブックス123 龍谷大学宗教部 】
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
冒頭の言葉、「我歳きはまりて……….. その一人は親鸞なり」は、「御臨末御書」と呼ばれているものですが、この書は「学界の定説としては親鸞聖人ご自身が書かれたものではないとされている」と、玉木氏は仰っています。上記は、このことを念頭に置いて話されたものです。
ここでの話からも明らかなように、阿弥陀さまは、いつも私たち一人一人と一緒にいてくださいます。ですから、私たちが2人でいる時も、または3人で、あるいは大勢でいる時も、そこにはいつも阿弥陀さまが一緒におられるのです。従ってこういう意味で、玉木氏の言われる通り、私たちは共生していると言えるでしょう。
一人一人が、お互いに「共生」という自覚を持ち、阿弥陀さまを中心にした意義ある人生を送りたいものですね。(Each of us should be conscious of living together and we would like to live meaningful lives with one another centered on Amida Buddha.)