The Beautiful Western Pure Land(美しき西方浄土)
経典には、阿弥陀如来の西方(さいほう)浄土が、清らかな蓮華が咲き、麗(うるわ)しくかざられた、さとりの浄土として説かれている。
親鸞聖人は、安楽浄土のさまざまなありさまを、
法蔵願力のなせるなり
と仰せになる。
美しい浄土のありさまは、「迷いの凡夫を我が国に生まれさせ、必ずさとりに導きたい」という阿弥陀如来の願いの力によってできあがっている。
凡夫は、さとりの世界に背を向け、迷いの世界にあり続けている。阿弥陀如来はそれを哀れみ、さとりの内容を凡夫に応じて示される。美しくかざられた安楽の世界を、夕日の沈む西方(さいほう)に建立して、凡夫の到るべき世界を指し示し、浄土に生まれさせてさとりに導かんと願われるのである。
【 『拝読 浄土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社】 】
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美しい浄土のありさまが『大無量寿経』にこのように書かれている部分があります。
「無量寿仏が声聞(しょうもん)や菩薩たちに法をお説きになるとき、すべてのものは七つの宝でできた講堂に集まる。そこでひろく教えを説き、すばらしい法をお述べになると、これを聞いてみな喜び、心に受けとめて、さとりを開かないものはない。そのとき、あたり一面からおのずから風がおこって宝の樹々(きぎ)に吹きわたると、さまざまな音を出し、数限りなく美しい花を降らし、その花が風に運ばれて国中に散りしかれる。このような供養がおのずからおこり、絶えることがない」。
あまりにすばらしい浄土のありさまは、この世を超越しています。『華厳経』の中に、釈尊の説法を聞き、聴衆は皆「如聾如唖(にょろうにょあ)」になった。つまり、「あっけにとられて物も言えなかった」と書かれていると聞きますが、浄土のありさまも凡夫にとってはちょうどそのようになってしまう感じがします。
( They ) were formed through the power of Dharmakara’s Vow.
(法蔵願力のなせるなり)