「ああおもしろかった」( “Oh, It was Interesting.” )
「ああおもしろかった」と臨終の際にどこまで言えるかが、限りある生の勝ち負けを決めるものさしだと私自身は思っている。 筑柴哲也
あえて「勝ち負け」と言うなら、との但(ただ)し書きをつけて、ジャーナリストはこう書く。社会的な活動も同じで、いくら正しいことに取り組んでいても、「それが苦しげに見えたら」、つまり当人がそれを楽しんでいるのでなければ、共感は集められないと。もちろん、「おもしろさ」の中身は多様であればあるほどよい。『スローライフ』から。
この文を読み、まず思ったことは、「臨終の際に」とありますから、後生のことを考えての発言であれば、すばらしいに違いないということでした。
蓮如上人は、「人界(にんがい)の生はわずかに一旦(いったん)の浮生(ふしょう)なり。後生は永生(ようしょう)の楽果なり」『御文章』(人間の寿命はほんのわずかの間であり、はかない人生である。後生こそ、浄土に往生して無量寿の仏のさとりを得て、末永く楽しむことができるのである)と言っておられます。
現世で阿弥陀仏の救いに遇ってこそ、後生の心配をすることもなく、心から人生を楽しめる身になれるのです。限りある生の勝ち組になれると言ってもいいでしょう。
「そういう意味を込めて、「ああおもしろかった」と人生を終えたいものです(Including such meanings, I’d like to end my life saying “Oh, my life was interesting.”)」