誰だって人生の主人公 ( Everybody Is a Main Character in life. )
主人公 / 無門関
唐代に生きた師彦(しげん)和尚は、毎日自分自身に「主人公」と声をかけて、自分で「はい」と答えていたと言います。
そして「しっかり目を開けておれよ」「どんなときも、他人に騙されてはならんぞ」と、自分に言っていました。
当たり前のことですが、私たちは人生の主人公です。会社のために私たちがあるのではなく、私たちのために会社も国家もあります。しかし、私たちはそれを忘れてしまう。
他人の評価に左右されて、主人公の座を明け渡してしまうのです。定年で後進に席を譲ることはあっても、人生の主人公であることを譲ってはいけません。
人生は思い通りになることばかりではありません。しかし、まったくないわけではありません。その思い通りになることに対しては、自分の主体性を持って生きる。それが大切なことでもあります。
【 『老いを生きる仏教の言葉100』 ひろ さちや 】
私たちは、自分の人生の主人公は自分であることは分かりきっています。しかし、他人に評価されるような場に置かれると、主人公であることを忘れてしまい、評価に惑わされることが多々あるものです。
このようなことを無くすために、師彦和尚を真似て、私も「毎日自分に『主人公』と声をかけて、『主人公は私だよ』」と自分に言い聞かせようかなと思っているところです。真面目に ………….. 。
なお、「思い通りになることに対しては、自分の主体性を持って生きる。(We should live with subjectivity for what we can manage at will)」ことが大切なこと、とありますが、ここで主体性の意味を改めて調べてみました。
主体性;主体的であること。また、そういう態度や性格であること。
主体的;他のものによって導かれるのではなく、自己の純粋な立場において行うさま。
主人公であるための、主体性を持って生きることの意味が、より具体的に分かりやすく感じられます。