病苦すら修行の場 ( Even Pain of Sickness Is an Ascetic Place )
山岡鉄舟は晩年、胃癌になり、最後はガンの複腔(ふっこう)転移で亡くなりました。しかし、病を得ても生き方は変わりませんでした。
「お医者さん、胃癌、胃癌、ともうせども、いかん中にも よいとこもあり」などと戯書(ざれがき)して笑ったりしていたといいます。見舞客があれば、きちんと表座敷(おもてざしき)で応対し、玄関まで送り出すなど、病苦など毛ほども感じさせなかったようです。
(略)
最悪の状態でもそこに意味を見出し、生きていくことが、苦を苦としない生き方なのだと思います。
病気になると、「もう治らないのではないか」「このまま死ぬのではないか」と心配になります。その苦しみを「精進せよ」という諭しだと受け止められる人こそ、すぐれた人なのです。
病苦も死苦も修行の場だと思うのは難しいことです。しかし、実際にそのような境地があり、そのような人が多くいたことを知っておくと、勇気を得られるでしょう。
【 『イヤな思いがスーッと消えるブッダのひと言』 高田 明和 】
この文の「ポイント」として、筆者の言葉が次のように書かれています。「苦しみが避けられないということを知っている者には、苦しみも悩みもないとブッダは言うのです。恐怖にとらわれると、恐怖は増大する一方なのです」。
病気になると、「もう治らないのではないか」と恐怖にとらわれることがありますが、恐怖は増大する一方だといわれます。ですから、怖がるのではなく、「最悪の状態でもそこに意味を見出し、生きていくことが、苦を苦としない生き方なのだ、( Even in the worst situation, you find out the meaning of life in your illness and that live on there. That is the way of life where you do not make pain pain. )」と教えられます。非常に難しいことですが、納得のいく言葉です。
また、最後の「病気も死苦も修行の場だと …………. 勇気を得られるでしょう」という件(くだり)は、とても励みになります。
※ 山岡鉄舟(やまおかてっしゅう);幕末・明治の政治家。無刀流の創始者。江戸生 まれ の幕臣。剣道に達し、禅を修行、書をよくした。