怨むから苦しくなる (You Suffer because You Have a Grudge against a Person)
怨(おん)を以て怨に報(むく)いれば怨止まず / 最澄
人生とは理不尽の塊(かたまり)です。頑張ったからといってうまくいくとは限りませんし、突然大きな病気にかかってしまうことさえあります。心から信頼している人からひどい裏切りを受けることさえあります。
そんなとき、「やられたらやり返せ」とばかりに怨みをぶつけても、何の解決にもなりません。大きなことはもちろん、たとえ小さなことであっても、憎しみの連鎖は重ねるべきではありません。
(略)
怨憎会苦(おんぞうえく)といって、仏教では憎んでいる人と会うことを人間の根源的な苦しみにあげています。つまり、怨まないということは、相手のためだけではなく、自分のためにも大切なことなのです。
【 『老いを生きる 仏教の言葉100』 ひろ さちや[監修] 】
仏教では「因果応報」と教えられます。「過去における善悪の業(ごう)に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること」『広辞苑』。
最澄の言葉は「怨めば怨み返される(憎めば憎み返される)」ということで、怨み(憎しみ)の連鎖は続いていきます。因果応報ですね。
「怨憎会苦」という言葉が挙げられていますが、この根源的な苦しみから解放されるためには「怨まないこと」だと言われます。
「怨まないということは……………………………自分のためにも大切なことです」という「最後の件(くだり)が身に染みます。( The last passage of the text sinks deep into
my heart. )」。